龜龜是在仙台場後去了神崎造船廠...然後一週後在福岡場後台跟編輯一起看了照片.........
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CLUB Sea-Side ファンクラブNews NO.75 2014/10/1
Sea-Side の仲間達と神崎造船鉄工所。神崎弘人君のファン達に贈ります。
神崎造船鉄工所、シーサイド造船所は多忙、多忙です。船体上下架、塗装、改修改造工事、船体溶接工事、エンジン、操舵機整備、木造台船も建造して、順次施工しています。
弘人のファン達には大変心配をお掛けしました。
神崎弘人は亀梨和也君という青年に成長して、素晴しいエンターティーメントに成長してKAT-TUNの一員として、全国ライブツアーをしており、9月26~28日迄代々木がラストツァーですね。
8月初め、マキァ編集さんから会社に電話が有って、私は外出しており、帰ったら撮影の電話が有ったとのこと、撮影の話は時どき有ります、私が居ないときは、そのままだったり、また、連絡が来たりです、余り気にしません。虫の知らせか? リダイアル確認をさせたら、 亀梨君のROOTSの撮影をしたいという事でした。
仙台より帰って8月18日、時間が少しだけ有るので撮影をしたいとのこと。
私は3月前から沖縄、西表島に18日からファミリー旅行が決まっていました。
たくさんの撮影は私が勝手に遣っています、居なければ許可が成りません。
亀梨和也君、弘人君が帰って来るのに、絶対的に私が居なければ意味が無い。3000名の弘の人君フアンが許すはずが無い、結局、私だけ、西表島行きを一日伸ばし、短縮しましました。 あれから8年ぶり、8月18日、総て8の数字、末広がりである。
ROOTS 聖地 ファンの皆さんが言っている、亀梨和也君の聖地、将に、神崎造船鉄工所ですね。颯爽と、満面の笑みを浮かべて、爽やかな笑顔で入場です。
神崎弘人君でした !! 亀梨和也というアイドルでは無く、入場して来たとたん弘人君でした。 “お帰り!! 弘人君!! 此処は弘人君の、貴方の工場、造船所です、自由に使って下さい” 私は自然と言っていました。8年前の弘人の工場がそのままの姿で今もあります。
“懐かしい、懐かしい”の言葉でした。工場、恋の船、弘人の家、全部ガイドしました。
工場、弘人の家、恋の船でも菜緒が居るように撮影。最後に船台で解体している木造船の上に上がって居ました、そのシーンをスタッフさんが撮影したものがマキァに掲載されました。考えて見ますと、このシーンが素晴しい、弘人君の思い出が一杯詰まっているかもしれない。船と船の真ん中に菜緒ちゃんのマンションが見えて、造船所のクレーンが見える。ジーと立っている弘人君は、何を思っているのか? 二十歳の自分をか?
すがです、さマキァさん、この素晴しい写真には亀梨和也君のROOTSが有ります。
此処の工場には全国各地、アジア諸国、中国、Taiwan、Hong Kong、Macao、ニュージランド、オーストラリア、アメリカ、カナダ、留学生、ファン達がたくさん来ています。
年間300~400名です。皆さん、弘人に,和也を愛しています、恋しています。
9~10.11.12月は代々木、マキァ、造船所の移転の問題、恋の撮影時期出すから
見学予約が満杯です。
撮影の最後に私と弘人君の話しの時間を戴きました。内緒です。
ただ、YOKOHAMAのツアーでは“僕らの街を”入れて欲しい、弘人君のファン達、神崎造船鉄工所からのお願い。
“弘人よ !! 和也よ !! 龍の如く天に昇れ !! ”
“僕はあの時君を真剣に愛していたのだろうか、夏の花火のように“
マキァの表紙、裏、中にも菜緒が居ます、赤い糸は繋がっているのか?
ジャニーズ、マキァ、スタッフの皆さんに感謝、感謝です。
090-3224-1860
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Club Sea-Side Fan Club News NO.75 2014/10/1
Sea-Side 的朋友們和神崎造船廠。致神崎弘人的飯們。
神崎造船廠、Sea-Side造船廠異常繁忙。船體上下架、噴繪、修理改造、船體拼接、發動機、船舵檢修、木船建造,井井有條地進行著。
多謝弘人的飯們關照。
神崎弘人就是亀梨和也君,他是一個優秀的藝人,作為KAT-TUN的一員,在全國巡回演出,9月26-28日是在代代木公演吧。
8月初,MAQUIA的編輯給公司來電話時,我正巧外出,回去之後聽說有攝影取材的電話。攝影常常有,我不在場的時候就置之不理,之後再聯絡,也不會多在意。但這次有種奇妙的預感,再打電話過去確認情況,原來是想在這裏進行龜梨君的ROOTS的拍攝。
從仙台回來是8月18日,因為還有點時間,所以想來進行拍攝。但我3個月之前決定了從18日開始去沖繩和西表島乘船旅行。
之前的很多拍攝我都按照自己的安排來,我不在的話就不能進行。因為這次是亀梨和也君、弘人君回來了,我要是不在的話就真的失去意義了。弘人君的3000位飯都不會答應,所以最後我就推遲了一天西表島的行程。從那以後,8年、8月18日,總之與8有關的數字都出現得更頻繁了。
ROOTS聖地。飯們都說,亀梨和也君的聖地毫無疑問是神崎造船廠。飯們精神抖擻,喜笑顏開地入場。
是神崎弘人君!入場的不是作為偶像的亀梨和也,而是弘人君。“歡迎回來!弘人君!這裏就是弘人君的工廠,您家的造船廠,請隨意使用。”我很自然地說出了這樣的話。八年前弘人的工廠原貌保留到了現在。
(龜梨君)說了“好懷念好懷念啊”。介紹了工廠、戀愛之舟和弘人的家。
在工廠、弘人的家、戀愛之舟上進行了攝影,像是菜緒也在這兒一樣。最後在船臺上登上了已經在拆分的木船,工作人員拍下了這個場景,在MAQUIA刊登出來。細細想來,這個場景非常棒,可以說充滿著弘人君的回憶。在船上和船艙內能看見菜緒家的公寓、也能看見造船廠的起重機。定立不動的弘人君在想著什麽呢?是二十歲的自己嗎?
MAQUIA的工作人員,這張精彩的照片裏有亀梨和也君的ROOTS。
這個工廠迎來了來自日本全國、亞洲各國、中國、臺灣、香港、澳門、新西蘭、澳大利亞、美國、加拿大等地的留學生和飯們。
每年有300-400人來參觀。大家都因為弘人而喜愛著、留戀著和也。9-10、11、12月由於代代木、MAQUIA、造船廠的遷址和恰逢當年電視劇拍攝時期,參觀預約爆滿。
拍攝的最後,我和弘人君得以聊了一會兒。內容保密。
只是,弘人君的飯們、神崎造船廠都希望在橫濱巡演時能夠演唱《我們的街道》。
“弘人呀!和也呀!願你如飛龍在天!”
“我那時候真心地愛著你吧,就像夏日的煙花一樣。”
MAQUIA的封面和內容也有菜緒的身影,難道是因為牽著紅線嗎?
向Johnnys、MAQUIA和各位工作人員致謝,再致謝。
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