龜龜覺得自己沒有才能...但我卻認為他是才藝一身...而張張利...加上他為人誠懇有禮...有事認真...才讓他更上一層樓...得到大家的信賴和賞識...這小孩就是謙遜...從來不領功...默默做好自己的事...照顧關心身邊的人...守護自己重要的東西...這樣完美的一個人就被我遇上了...怎能不愛你...希望KAT-TUN強大起來的一天不會太遠...我會一直支持你....與你一起守護你想守護的KAT-TUN...希望所謂的唯飯...就想通這點...KAT-TUN及其他成員並不是龜龜的負累...想要繼續KAT-TUN的是龜龜本人...並不是別人...想要珍惜成員及Hyphen的也是龜龜自己...所以不要再說什麼龜龜SOLO就好...讓其他成員不要拖累他...這根本就不是龜龜本人的想法...龜龜想要團結一致的KAT-TUN變強大...想一直以KAT-TUN龜梨和也的身分工作下去...既然大家都愛龜龜...為何不支持他所想做的事...搞分化不是是逆他的意而行? 這樣就是愛自家偶像支持自家偶像的態度?? 連最基本的尊重自家偶像的選擇都做不到...絕對談不上有多愛他...所以希望大家自重...有什麼樣的偶像就有什麼樣的飯...不要讓自己所愛的偶像為自己的行為埋單...
近日看到太多唯飯對團及其他成員不善的態度有感而發...不喜歡的可以不看...這是本人的立場而已...
#亀梨和也 #24時間テレビ40 #blog #阿久悠物語
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KAT―TUN・亀梨和也「グループ存続は僕の美学」
近日看到太多唯飯對團及其他成員不善的態度有感而發...不喜歡的可以不看...這是本人的立場而已...
#亀梨和也 #24時間テレビ40 #blog #阿久悠物語
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KAT―TUN・亀梨和也「グループ存続は僕の美学」
24時間テレビで主演ドラマ「阿久悠物語」
日本テレビ系「24時間テレビ40 愛は地球を救う」でメインパーソナリティーを務めるKAT―TUN・亀梨和也(31)が主演のドラマスペシャル「時代をつくった男 阿久悠物語」は26日(午後9時頃)に放送される。一時代を築いた作詞家・阿久悠さんを演じているが「仕事以外での人間性を感じていただければうれしい」という。ジャニーズ事務所に入って来年で20年、節目を迎えるが「僕は何の才能もないから目の前のことを精いっぱいやるしかなかった」と振り返る。ジャニーズJr.時代やKAT―TUN結成後の苦労、グループに寄せる今の思いも聞いた。
■ブレない生き方意識
阿久悠さんは沢田研二やピンク・レディーらの楽曲を手掛け、日本レコード大賞を5回受賞。2007年に70歳で亡くなるまで5000曲以上を作詞した。亀梨は希代のヒットメーカーに強烈な存在感を覚えたという。
「ピンク・レディーさんとの結び付きは感じていましたが、調べるほどにあれもこれも阿久作品ばかり。もう衝撃です。どうして覚えたのか知らないけど、物心ついて『おはよう』っていうのと同じように、リアルでない僕ら世代でさえ、なぜだか曲を知っている。そんな感覚で阿久さんの歌が僕らの頭に刷り込まれているんですね。(今回の)ドラマのテーマでもある音楽の圧倒的な力を改めて感じます」
数多くのドラマに出演しているが50代を演じるのは今回が初めて。舞台背景にもなった高度経済成長期にも特別な思いがあったようだ。
「作詞家になられる前の1960年代初期から、50歳代までを演じましたが、阿久さんは生き方にブレはなくて筋が通っている印象で、そのあたりを意識したつもりです。実年齢より上を演じるのは初めてで、しかも20歳以上も、ですから難しさもありました。時代も考えて4パターンの衣装や髪形を用意したので、微々たる変化を楽しんでいただけたらと思います。舞台が60年代だと写真がモノクロであったりとか、現代との違いはありますが、なにか懐かしい感覚を持ちました。僕が育った環境が昭和を感じる状況にあったからだと思います。黒電話があったり、最新のモノをバカスカそろえられる家庭じゃなかったので、昔のモノに親しみも感じました」
■「これ終わったな!」
中1の時に親戚がジャニーズ事務所に履歴書を送った。プロを夢見た野球少年はオーディションで芸能界のすごさを目の当たりにしたという。
「(オーディション会場の)NHKのスタジオには300人ぐらいいました。みんなおしゃれで当時はやっていたアディダスのジャージーを着てたり、茶髪でピアスやネックレス着けてたり。こっちは『ジャージー持参』ということで渡された紙袋の中身を見たら父親が着用する裾がジッパーで閉まるタイプのが…。瞬間『これ終わったな! 絶対にダメじゃん』と思いました(笑い)。でも審査を受けて分かったことがありました。野球でいうと中1の時は中学野球の世界で勝負ですが、芸能界は中1でもプロの世界。これは刺激的なことでした」
■人生初めてのうな重
審査合格後に滝沢秀明らがいる現役のジャニーズJr.の番組を見学。野球と芸能で気持ちが揺れ動く中で、ジャニー喜多川社長から思わぬラブコールを受けた。
「タッキーを見た時、あんなキラキラしていている人がいるんだって、芸能界に興味も湧きました。でもジャニーズのレッスンとかぶる日曜日には、なぜか野球の練習の方に行っていました。しばらくしてジャニーさんから麻布のつづきスタジオに呼び出されると、いきなり『ユー、何食べる』って。『何でも大丈夫です』と返事して出てきたのが分厚いウナギ…、それが生まれて初めてのうな重でした。『ユー、何でレッスンに来ないの、興味ないの』『野球の練習があるんで』と答えると『ユー、ジャニーズで野球やればいいんだよ』って。そしたらすぐに台湾大震災チャリティー野球大会で、投手で招集されました。そして『金八先生』に出演が決まったので野球をやめる決断をしました」
■デビュー先越され…
高1の時にKAT―TUNが結成された。CDデビューまで5年を費やしたが、デビュー前に東京ドーム公演を行うほどのメガグループに成長。型破りな新人の登場に世間のザワザワ感は相当なものだった。
「これまでの事務所の流れ考えたら『グループ結成=CDデビュー』じゃないですか。でも先にシゲ(加藤シゲアキ)ら後輩がNEWSでデビューしたので正直、腐っていました。子供ながら“KAT―TUN会議”なるものを開いて『このままデビューできないんじゃないか』『事務所をやめて人生やり直した方がいい』とかマジに話していました。デビュー当時も東京ドーム公演が話題になりましたが僕らは“いきなり”とは思っていなかった。ドームではSMAPさんとKinKi Kidsさんしかやってないので、先輩を飛び越えたすごさは感じましたが、僕らは数年間活動して国際フォーラムから始まり松竹座や横浜アリーナと段階を踏んでいた自負もあったから、何で騒いでるのという感じも…。世の中の感覚では新人はフレッシュと思っているから、このズレが生意気に映ったのかもしれません。確かに僕はグループでも一番年下ですが一番生意気そうでしたね(笑い)」
常に突っ張ってきたことですれ違いも生まれた。“修二と彰”でユニットを組んだ山下智久と疎遠になったこともあったという。
「山Pとは(沿線に住む)総武線仲間ですごく遊んでましたが、高校ぐらいに互いの毛色の違いを理解できなくなった時期もありました。僕はブレてないんですが、そこはコンプレックスですね。山PはJr.のド真ん中でいるだけで絵になるけど、僕は立っているだけでは仕事は来ない。いろんなことをしなくちゃいけない中で、カッコつける場面も出てくる。山Pから見ると『こいつ、何カッコつけてんだ』と思ったんでしょう。最近、一緒にご飯食べた時『亀ってあの時からプロだったんだよね』って褒め言葉をいただきました」
■常に危機感持ってる
ドラマにキャスター、バラエティーで活躍の場を広げているが自分の立ち位置を忘れることはないという。
「僕は何かにずば抜けて才能があると思った事はないし、常に危機感を持っています。それに自分のためというより外にベクトルを向けるように意識しています。野球の取材では選手が主役だし、ドラマの時は監督さんの先に視聴者がいる。ステージに立つ時は目の前にファンがいます。自分がどこにいたいかよりこの場面で自分が何をすればいいのかを考えます。小さい頃からイチロー選手や松井秀喜選手になりたいという願望もありましたが、野球をやることで親を喜ばせたいというのが一番でした。これが亀梨和也だと思うし、もしこの世界をやめて違う所に行ってもそこは変わりません」
■どう守りどう大きくできるか
―最後に充電中のKAT―TUNについては。
「充電を認めてくれた事務所には感謝です。いろんなプロブレム(メンバー脱退など)も、何か僕の中ではその当時は納得というか理解できないことも正直ありましたが、一つ一つの出来事が今の自分を作ったとも思います。グループ存続は今となっては僕の美学です。15、6歳から続けていることで、その意味でプライドというか崩したくないモノです。グループをどう守れるのか、どう大きくできるのかが自分の中のベースにもなっています。強い何かを持ってまた集まれたらいいと思っています」
覚悟の人である。自分の弱さと強さを知り、周囲を思いやれる度量の深さ。仕事への真摯(しんし)な態度はその覚悟から生まれるものだろう。男もほれるナイスガイだ。
(ペン・国分 敦、カメラ・小泉 洋樹)
■年上・小山は呼び捨て、翔くんは勉強するから一人部屋
24時間テレビでは嵐・櫻井翔、NEWS・小山慶一郎と司会を務める。ジャニーズJr.時代からの仲間に特別な思いもあるようだ。
「小山は年齢は上なんですが、事務所入りが2、3年遅くて僕が教育係みたいに振り付けを教えていたからずっと小山と呼び捨てです(笑い)。翔クンは昔はやんちゃでおしゃれのカリスマって感じでした。全国ツアーの時、Jr.は3人部屋なんですが翔クンだけは勉強するから一人部屋でしたね。僕の同期は(KAT―TUNの)中丸(雄一)、(Kis―My―Ft2の)藤ケ谷(太輔)、(NEWSの)増田(貴久)や(A.B.C―Zの)塚田(僚一)とかです。交流は最近ですね。みんな大人になって『集まってご飯食べようって』となりました。滝沢君はJr.の中では雲の上の存在。別格でしたが僕はかわいがってもらいました。家に泊まりに行った時、僕のジャージーを洗濯してもらいました」
<プロフィール>
◆亀梨 和也(かめなし・かずや)1986年2月23日、東京都生まれ。31歳。98年にジャニーズ事務所に入所。翌年に「3年B組金八先生 第5シリーズ」(TBS系)で連続ドラマ初出演。2001年にKAT―TUN結成。05年に「ごくせん」(日テレ系)に出演し人気者に。同年「野ブタ。をプロデュース」(同局系)でW主演した山下智久とのユニット「修二と彰」で「青春アミーゴ」を発売しミリオンセラーを記録。06年、KAT―TUNとして「Real Face」でメジャーデビュー。小学校から始めた野球の経験を生かしプロ野球のPRに貢献し選手からの信頼も厚い。血液型B。
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170825-OHT1T50074.html
KAT―TUN・亀梨和也「團隊存續是我的美學」
在24小時TV中主演電視劇「阿久悠故事」
在日本電視台系「24小時TV 40愛拯救地球」擔任主持的KAT-TUN·龜梨和也(31)主演的電視劇SP「創造時代的男人阿久悠故事」在26日(下午9點左右)播放。扮演建立起一個時代的作詞家·阿久悠「如果能感受到在工作以外的人性會很高興」。進入傑尼斯事務所到明年就20年,在迎接這節眼上回顧「因為我什麼才能也沒有只能竭盡全力去完成眼前的事」。也問了傑尼斯Jr.時代和KAT-TUN組成後的辛苦,現在對組合寄予的想法。
■不動彈的生活方式意識
阿久悠是親自動手寫澤田研二和Pink·lady等人的歌曲,獲得5次日本唱片大獎。到2007年70歲死時寫了5000首歌詞。據說龜梨記住了對希世轟動效應作品的作者強烈的存在感。
「雖然感到了與Pink Lady的聯繫,但在調查中發現這個那個都是阿久的作品。已經是很衝擊。雖然不知道是怎麼記得的,但附有物質精神與說『早晨』一樣,為何連不在現實我們的世代,也知道這些歌曲。以那樣的感覺阿久的歌曲被我們印在腦海中。再次感到(這次)作為電視劇主題的音樂壓倒性的力量」
雖然曾在許多的電視劇上演出,但演50代這是第一次。好像對成為舞台背景的經濟高速增長期也有特別的想法。
「從未成為作詞家之前的1960年代初期,演到50多歲,阿久對生活方式沒有改變一根筋到底的印象,打算意識到了那個部分。演比自己實際年齡大的角色是第一次,而且是大20歲以上,因此很難。因為也考慮到了時代所以準備了4種服裝和髮型,想如果可以享受這細微的變化。舞台是60年代照片是黑白,雖然有與現代的不同,但卻有著懷念的感覺。因為感到我成長的環境的昭和的情況。有黑色旋轉撥號電話,因為不是能集合最新東西的家庭,對以前的東西感到親切」
■「這玩完了!」
中1時親戚寄了履歷書給傑尼斯事務所。據說夢想成為職業棒球少年在徵選會在眼前看到了演藝圈的厲害。
「在(徵選會會場的)NHK攝影棚有300人左右。大家都很時髦穿著當時流行的愛迪達的針織衫,啡頭髮戴著耳環和項鍊。這邊是『針織衫自備』在看到被交給的紙袋中的東西是父親穿的下擺有拉鏈類型的…。瞬間想『這玩完了!絕對不行』(笑)。但是接受審查明白到了。以棒球的說法中1時在初中棒球世界決勝負,但在演藝圈即使是中1也是專業的世界。這個是刺激的事」
■人生第一次的鰻魚重
審查合格後,參觀了有瀧澤秀明等人在的現役傑尼斯Jr. 的節目。在棒球和演藝心情搖擺不定中,從Johnny喜多川社長收到意外的love call。
「看到takki時,有那樣閃亮亮的人在,對演藝圈也產生了興趣。但是滿載傑尼斯課戴的星期日,為何會去了棒球的練習。不久被Johnny桑叫出來到麻布的攝影棚後,突然『你,吃什麼』。『什麼都可以』回答後的是厚切鰻魚…,那個是人生第一個鰻魚重。『你,為什麼不來上課,沒興趣嗎?』在回答了『因為有棒球的練習』後『你,在傑尼斯打棒球就行了』。那樣的話馬上在台灣大震災慈善棒球大會上,被招集了成為投手。然後因為決定演出『金八老師』而放棄了棒球」
■出道前越過…
高1時KAT-TUN結成。到CD出道花了5年,在出道前,舉行東京巨蛋公演那樣的超級組合中成長。對破壞型的新人登場世間聲音相當厲害。
「如果考慮到至今事務所的主流不是『組合結成=CD出道』嗎?但是在前面成亮(加藤成亮)等後輩以NEWS出道,老實說腐爛了。雖然是孩子但開了“KAT-TUN會議”『就這樣不是不能出道嗎?』『最好是辭去事務所重新生活』之類認真的話。出道當時東京巨蛋公演也成為話題, 但我們沒認為是"突然"。因為在巨蛋只有SMAP和KinKi Kids,雖然感到跳過前輩很厲害,但我們也因為有活動數年從國際論壇開始松竹劇場和橫濱圓形競技場一步一步的自傲,為什麼喧鬧的感覺也…。世間的感覺中新人是新鮮,或許這個偏差映照出自大。確實即使我在組合中也是最小,看起來最自大(笑)」
據說由於經常僵持起來也產生了交錯。因而與組成"修二與彰"的山下智久疏遠了。
「山P因為是總武線(住在沿線)朋友經常一起玩,但大概在高中時進入不能理解彼此髮色不同的時期。雖然我沒有動搖,但那邊是難懂的。因為畫面是以山P在Jr.裡正中心構成,我光站著的話工作是不會找我。在必須要做的各種各樣事情當中,耍帥的場面也出來了。從山P看來會想『這傢伙,在耍什麼帥』的吧。最近,一起吃飯時『龜是從那個時候開始就已經是專業』被誇獎了」
■經常有著危機感
電視劇主持,一直在綜藝節目擴闊活躍範圍從沒忘記自己的立場。
「我從不想自己有什麼群想的才能,經常保持著危機感。而且與其說因為自己不如說意識為了在外面對的方向。棒球採訪選手是主角,拍電視劇時導演之前巿觀眾。站在舞台上時眼前有飯。比起自己想在哪裡會考慮在這個場面自己做什麼才好。從小就有想成為一郎選手和松井秀喜選手這樣的願望,打棒球最想的是讓父母高興。我想這就是龜梨和也,即使離開這個世界去不同的地方那點也不會變」
■怎樣守護怎樣能強大呢?
-最後關於充電中的KAT-TUN。
「感謝對接受充電的事務所。各種各樣的問題(成員退出等),老實說在我心中當時也有什麼可接不能理解的事,但我想完成一個一個的事情造就了現在的自己。組合存活是如今我的美學。從15,6歲開始一直持續的事,在那個意義上不想摧毀叫自豪的東西。要怎樣才能守護組合,怎樣才能強大起來已經成為自己心中的基本。我想變強大擁有什麼後再聚在一起就好」
是有覺悟的人。知道自己的弱點和優點,能體諒周圍的大度。對工作的真誠態度是從那覺悟產生的東西吧。是男人也戀慕的好男人。
■年長· 直呼小山,因為翔君要學習而一個人自己一間房
在24小時TV與嵐·櫻井翔,NEWS·小山慶一郎擔任主持。好像對從傑尼斯Jr.時代開始的伙伴有特別的想法。
「小山年齡雖比我大,但比我遲2,3年入事務所我就像教育員般教他跳舞所以一直直呼小山(笑)。翔君以前感覺就是調皮及時尚的領軍人物。全國巡演時,Jr.3人一間房,但只有翔君因為學習一人一間房。我的同期是(KAT-TUN)中丸(雄一),(Kis-My-Ft2)藤谷(太輔),(NEWS的)增田(貴久)(A.B.C-Z的)塚田(僚一)等。最近開始交流。大家長大了就會『聚集一起吃飯』。瀧澤君在Jr.中是雲上的存在。雖是破格待遇但我得到寵愛。在我去他家留宿時,會幫我洗衣服」
<人物簡介>
◆龜梨和也1986年2月23日,東京都出生。31歲。98年進入傑尼斯事務所。翌年在「3年B組金八老師第5系列」(TBS系)連續劇中首次演出。2001年KAT-TUN組成。05年在「極道鮮師」 (日本電視台系)裡演出爆紅。同年在「野豬大改造」(該局系)與雙主演的山下智久結成「修二與彰」推出「青春amigo」取得百萬售量記錄。06年,作為KAT-TUN「Real Face」盛大出道。利用從小學開始的棒球經驗為職業棒球的PR貢獻得到選手的深深信賴。血型B。
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