其實KAT-TUN真是J+裡面的流行尖端....不但是衣著打扮...連音樂也是......我們家的孩子真的很棒。
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嵐『THE DIGITALIAN』が示した新潮流 日本のポップスは“メロディ信仰”から“リズム改革”へ
嵐の新作アルバム『THE DIGITALIAN』が発売された。タイトルでも示されているように、全体的にエレクトロ/デジタルに大きく振ってきたアルバムである。具体的に言うと、シンセサイザーの多用、ヴォコーダー処理の多用、打ち込みのビートがおもな特徴として挙げられる。
冒頭の「Zero-G」は、そんなアルバムのコンセプトがよく表れている。とくに注目したいのは、ヴォーカルのエレクトロ処理が非常に強いことで、曲によっては、ヴォーカルを細かく刻んでもいる。このヴォーカル・チョップは、ダンス・ミュージックの領域ですっかり一般化した手法だが、嵐もこれを取り入れてきた。この点、重要視したい。というのも、日本の歌謡曲は長らくメロディ重視で受容されてきた経緯があるからだ。ヴォーカルをエレクトロ加工し、さらに声を細切れにまでするということは、メロディ重視という歌謡曲の呪縛を逃れ、ビート・ミュージックに寄っていく契機と見ることができる。声すらも加工され細切れになって、ビートの一要素になるということだ。エレクトロに平板化され、チョップされたヴォーカルは、「Asterisk」に顕著だ。まさに、嵐の「THE DIGITALIAN」化である。
ジャニーズのビート・ミュージック化は、KAT-TUNが『come HERE』で大きく切り拓いた道である。以前書いたように、KAT-TUN『come HERE』の特徴はビートの複雑化にあるが、『THE DIGITALIAN』も『come Here』と同じかそれ以上にビートが凝っている。「Wonderful」は、ファレル・ウィリアムス「Happy」のようなヴォーカルの背後で、ドラムンベースのリズムが響き続けている。そのビートも、聞こえた限りでは10種近く(基本ドラム・パターン=4〜5種、ポイントとなるドラム=3種、パーカッション=2〜3種)のドラム音が駆使されており、メロディアスな印象とは裏腹にとても手間がかかったビート・ミュージックだと言える。R&B調のバラード「Tell me why」も、後半、櫻井翔のラップがビートとともに倍速になる展開が面白い。昨今のUSヒップホップ/R&Bでは、遅いテンポと倍速のテンポを往復するようなビートのありかたがひとつのトレンドになっているが、この曲は、そんな同時代的なトレンドを意識したものかもしれない。相葉雅紀のソロ曲「Disco Star」は、ヴィレッジ・ピープル/ヴァン・マッコイ的なディスコ観をパロったような歌詞だが、めまぐるしく展開するリズムの複雑さが70年代ディスコとは比べものにならない。また「TRAP」は、バキバキしたシンセ音が印象的な曲である。KAT-TUNのお株を奪うような攻撃性だが、この曲も、やはりリズム・パターンが一筋縄ではいかない(とくにキックの置き方が、とても変則的)。松本潤のソロ曲「STAY GOLD」は、80年代後半のアーリー・ハウスを現代的に模しているのがユニークだ。80年代後半のシンセ・サウンドも、昨今のダンス・ミュージックで再評価されている傾向がある。しかも途中、その80年代後半的なシンセをダブステップ的に展開させているのが、なんとニクい演出であることか。本作に対しては、ポップな印象の背後にあるデジタルな工夫と遊び心を強調したい。
念のために言っておくと、世界の最新モードに伴走しているから良いとか、時代遅れだから悪いとか、そういうことではない。問うているのは、そのグループがその音楽性であることの必然性と説得力である。例えば、KAT-TUNにはもっと先鋭的なダンス・ミュージックを追求して欲しいが、一方で、SMAPには90年代的なディスコ解釈を洗練させて欲しい。新しい音楽の潮流を最大公約数の歌謡曲に翻訳してきた嵐においては、最新モードであることとポップであることのバランスが重要だ。
日本のポップスはめくるめく変化を遂げていると言えるが、どうもまだまだメロディ信仰が残っていて、リズムが保守的になる印象がある。しかし、嵐の新作がこれだけビートとヴォーカルに手を入れているという事実は、日本の歌謡曲が、いよいよメロディ重視から脱却する時期に来ているということなのかもしれない。日本のポップスはリズム改革を推し進めるべし。
■矢野利裕(やの・としひろ)
批評、ライター、DJ、イラスト。共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)などがある。
http://realsound.jp/2014/11/post-1700.html批評、ライター、DJ、イラスト。共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)などがある。
嵐『THE DIGITALIAN』表示的新潮流日本的流行歌曲從“旋律信仰”向“韻律改革”
(前略)
傑尼斯的搖滾音樂化,是 KAT-TUN『come HERE』很大地拓展出來的道路。像以前寫一樣地,甜菜的複雜化有KAT-TUN『come HERE』的特徵,不過在那個以上甜菜凝固,『THE DIGITALIAN』與『come Here』也一樣嗎。像以前寫的一樣, KAT-TUN『come HERE』的特徵是搖滾的複雜化, 但『THE DIGITALIAN』與『come Here』也一樣凝聚了搖滾樂。
(中略)
是象奪走KAT-TUN的專長一樣的攻擊性, 不過這個曲子,也還是韻律·pattern普通的辦法不行(特別地kick放置方法,非常不合規則的)。
(中略)
對為慎重起見預先說的話,因為為世界的最新模同時運行,因為是落伍者所以不好,不是那樣的事。一直問的是,那個組合有那個音樂性的必然性和說服力。譬如,KAT-TUN想更多追求尖銳的的舞蹈·音樂, 不過,另一方面,想讓SMAP優化90年代disco表演。在表演成最大公約數的流行歌曲新的音樂潮流的嵐,最新模式和pop的平衡重要。
(後略)
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